院長あいさつ

当院は1860年に「箱館医学所」という形で産声を上げました。創設者はのちの外国奉行兼箱館奉行の栗本鋤雲です。彼は2027年NHK大河ドラマの主人公となる悲劇の幕臣小栗忠順の盟友の一人でした。
当時の函館は通商を求めて各国の領事館が進出しておりましたが、ロシア領事が住民のため病院を作るとの噂がたち、これに対抗する形で作ったのが「箱館医学所」です。
これ以降、この地で起こった疫病、災害には常に先頭に立って事に当たってまいりました。明治19年のコレラの爆発的流行。7月18日に始まり11月9日に終息するまで患者数1,220余名、死亡者数842名という大惨禍でしたが、さらに追い討ちをかけるよう年末には天然痘が大流行しました。
また昭和9年の大火では新たに病棟を造り、3か月間で延べ入院患者5,597名、延べ外来患者28,297名の治療に当たりました。記憶に新しいところでは新型コロナ感染症。3年間で1000人を超える入院患者の治療を行い、ワクチン接種も延べ15,000回打ちました。また25,000人を超える濃厚接触者の検査も行いました。
この様に当院は165年の長きに渡ってこの地で医療を行ってまいりました。そしてその伝統は今も脈々と受け継がれています。例えば、最近の当院の救急応需率は常に99%を超えており、地域の皆様の緊急医療ニーズに応えるべく努力しています。
この数字を達成するには診療システムを変えたり、DX化を積極的に取り入れたりしましたが、なんと言っても大きいのは職員の心意気です。「当院がこの地域の医療を守る最後の砦である」との意識は徹底されており、これが応需率一つとってみてもこのような数字に表れるのだろうと考えています。
「箱館医学所」から「市立函館病院」まで幾つか名前を変えてきましたが、およそ100年ほど前から現在の名前に定着しています。ただし、名前が変わっても常に我らの心の底流に流れてきたのは「地域の皆様に最適の医療を提供する」という心です。これはこれから先もずっと持ち続けます。
2026年7月
病院長 森下 清文